Posts

ブログ8 今学期の反省、これからの予定

Image
 今学期はすぐに終わるでしょう、早すぎますね。その後、私はUSCから卒業すると同時に、ワシントンD.C.に引っ越して仕事を始める予定です。 今学期は本当に楽しかったです。五つのクラスを取り、全て面白かったし、大変ではなかったです。経済学の授業でたくさんの金融経済の内容について学んだり、環境学の授業で地球温暖化について習ったり、日本語の授業で文法や漢字をもっと勉強したりしました。今学期は友達と一緒にたくさん会って遊びました。毎週、私たちは色んなところに行ったし、私と友達の関係もだんだん近くなりました。卒業したら、本当に毎週のように友達のことを思い出すと思います。 その後、私はワシントンDCに引っ越して、経済研究員としてアメリカの中央銀行で働く予定です。心がドキドキして、ワクワクしています。将来もぜひ日本語の勉強を続けようと思います。皆さんありがとうございました、先生もお世話になりました!

ブログ7 好きな小説

Image
 最近私たちは授業で江國香織先生が書いた「デューク 」という小説を少し読みました。日本人によって書かれた犬についてのストーリーなので読みやすいと思っていたんですが、かえってくだけた話し方がたくさん使われているので、読みにくかったです。でも、この小説のストリーが面白いと感じているので、読んだら楽しかったです。今回私は、自分が好きな筆者の東野圭吾先生が書いた「ナミヤ雑貨店の奇蹟」という小説について少し話そうと思います。 中学の時、私はアメリカに引っ越したばかりだったので、中国語の本も読めば、英語の本も読んでいました。その時、母が渡辺淳一が書いたなどの日本の文学作品にとても興味を持っていたので、私も時々日本の小説を読でいました。2000年代ごろ、東野圭吾は中国でとても人気があるそうでした。それで、私は東野圭吾が書いた「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の中国語翻訳バージョンを読みました。 「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は、あるナミヤという雑貨店の物語です。ナミヤ雑貨店はすでに閉まっていたが、二十年前に、店主であるお祖父さんは人々の様々な悩みを解決できていたそうだ。ある日、三人の泥棒が警察から逃げるために、間違えてこのすでに閉まっていたナミヤ雑貨店に入りました。驚くことに、彼らはタイムスリップしてしまい、二十年前の悩みを解決したい人々からの手紙を届いていました。親と対立している人もいるし、将来に迷っている人もいるし、大切な人を失った人もナミヤ雑貨店に手紙を書いて送っていました。少なくとも五十枚の手紙は送られました。三人の泥棒が驚くなるが、そちらの手紙を読んで、一枚一枚で返信していました。最後、その三人が自分の人生について思って、三人の考えは変わりました。 「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を読んでとても面白かったです。ストリートは驚くこともあるし、笑えることもあるし、私はこの本を全然おすすめです。

ブログ6 私にとって大切なこと

Image
 私にとって大切なことは、何より、私の家族と友達だ。嬉しいことが起きた時でも、悲しいことが起きた時でも、私はいつも真っ先に家族と友達に連絡しているんだ。 私の子供の頃、両親はアメリカに引っ越すためにいつも会社で働いていて、忙しかった。私が小学校で勉強していた時、毎日スーツ姿の父と遅く帰った母を見ていた。いつも忙しいと言って、私と楽しいことをしなかったとは限らない。子供時の思いでを生かすために、毎年の休みに両親が私を色々なところに連れてくれたものだ。十二歳でアメリカに引っ越した後で、思春期に入ってから、親にすごく反抗するようになった。でも、二十代に入ってから両親の犠牲を認識して、心から両親に大変感謝するようになった。 (大阪城で) 私は大学でたくさんの親切な友達を作って、それは私が本当に嬉しいことだ。その上、大学の前に作った高校時代の友達も今でも親切だ。高校の時、私たちは毎週2回に学校の帰りがけに友達共にスッパに行ってシップスを買ったものだ。私はその記憶をずっと覚えると思う。残念ながら、大学の時に私たちはだんだん遠くになったが、将来できれば、同じのところに住んだらよかっただ。 今から卒業までに約四十日があるんだ。私はその四十日の体験と思い出を生かしたいだ。その後、人々との連絡は多分減っていくかもしれない。でも、私にとって大切なことは、何より、いつも私の家族と友達だ。

ブログ5:大学四年生の春休み

Image
  もう大学四年生だから、今年の春休みは大学の最後の春休みでした。私は友達五人と一緒にレンタカーを借りてラスベガスとユタ州に旅行に行きました。 まず、私たちはロサンゼルスから四時間をかかってラスベガスに着きました。私たちはラスベガスのレストランに行って、料理が美味しかったですが、物価は本当に高かったと感じました。 ラスベガスのホテルに、スーツ姿の人々はどこでも見られました。ホテルのロビーは全部ギャンブルの場所でありました。ギャンブルのゲームは楽しいですが、ラスベガスのギャンブル文化は大きな問題になると思います。ギャンブルして飲み、飲んでギャンブルするお客さんはたくさんいました。そして、インタネットによると、だいたい90%のお客さんは最後にお金を失うことが分かりました。お金を貸してギャンブルしている人もいるそうだから、とても怖いです。でも、ギャンブルする人は全部ギャンブル依存症があるというわけではありません。多くのお客さんはお金を少しだけ使い、ギャンブルのゲームを楽しんでいる現象が見られました。個人的な考えですが、私は「お金を得たくない、三十ドル以下で楽しむだけ」と思って、少し友達と一緒にギャンブルをして終わりました。そのレベルのギャンブルなら問題ないし、大丈夫だと思います。しかし、あまりにも多くのお金をギャンブルゲームに使うことは絶対してはいけない方がいいです。 ラスベガスから離れて、ユタ州の国立公園に行きました。実は、ヨセミテ国立公園を除いて、私は他の国立公園に行ったことがありませんでした。今回、ザイオン(ZION)国立公園がとても美しいと聞いたので、私たちはザイオン国立公園に見に行くと決めました。冬の時に、ザイオンは大雪が降ると道路が危ないそうですが、最近暖かくなるにつれて、氷が溶けたし、草も緑色になりました。ザイオンのハイキングコースはかなり難しいので、私たちはYoutubeで、いかにザイオンでハイキングするかが知りました。白い山も見えるし、緑な森林も見えるし、ザイオンの景色は本当にすごく美しいと感じました。 最後に、私たちは旅行への帰りがげに、フライドチキンを食べてみました。最後の春休みなので、この旅行では素晴らしいと思って、友達と過ごした時間を本当に楽しみました。

ブログ四:日本旅行

Image
  みなさん、こんにちは。今回は、自分の日本旅行の体験について話そうと思います。去年の夏休みに、私は両親共に東京、大阪に六泊七日で行きました。その前に私はも一回日本に行ったが、両親は行ったことがなかったので、一緒に行くことにしました。私は東京がいちばん好きなので、まず両親を連れて東京に行きました。  東京は本当に大都市なので、ショッピングセンターやレストランなどがたくさんあります。その上、摩天楼がどこでもあるし、街のどこでも色が輝いています。私たちは東京都庁の摩天楼に行って、四十五階の展望台から全部の東京都を見ました。しがしながら、現代的な大都市だから伝統的な景色が見られないとは限らないんです。私たちは皇居や浅草寺や明治神宮など、歴史的な魅力を持っている観光地にも見に行きました。東京大学にも見に行ったし、将来ここで勉強できればよかっただと思いました。  四日目に大阪に向かいました。私たちは大阪に行ったことがなかったので、「関西弁を使わなくてもいいのか」と思って、一応関西弁の単語や話し方を復習したら行きました。アメリカ人にとって、東京はけっこう大阪よりうるさいと感じています。自分の意見では、大阪の方がうるさくて混雑していると思います。どこでも人々がリラックスしておしゃべりしていって、この雰囲気がとても好きです。  私たちは六日目に京都に行って金閣寺と銀閣寺を見る予定でしたが、大雨が降り始まったので、行かないで東京に帰りました。将来機会があれば、ぜひ京都に行きたいです。

ブログ3:石破トランプ会談の新聞

Image
 私たちは先週の授業で日本の政治について少し勉強したので、私は最近日本の政治に関する新聞について関心を持ち始めました。今回、私は日本の石破首相とアメリカのトランプ大統領の会議について話そうと思います。  二月七日に、日本の総理大臣石破茂先生はワシントンDCのホワイトハウスでアメリカのトランプ大統領と会談したことが分かりました。日本とアメリカは特に重要なパートナーなので、その会議は特別に重要なものです。石破首相とトランプ大統領は、日米関係、アジアの政治、日本との貿易などのいろいろなトピックについて話し会ったそうです。トランプ大統領は前に日本を含む各国からの輸入商品で「関税を課す」計画を発表しました。しかし、石破首相の意見を聞いた後、日本からの輸入商品で「関税を課さない」と決めました。アメリカはいつも日本自動車の最大な市場なので、石破首相はトランプ大統領に自由貿易の利点を説明しました。  その上、トランプ大統領は日本製鉄がU .S .Steelを買収することにも賛成したことが分かりました。その前、アメリカのバイデン政権が国家安全保障のためにその140億ドルの買収提案を阻止しました。石破首相とトランプ大統領は、「日米関係の新しい時代の始まり」と発表しました。  

ブログ2:子供だった時の夢

Image
 (P 290トピック:子供だった時の夢) 授業で石ノ森先生の文章を読んだ時、面白い人だと思いました。「子供だった時にいい作文を書くと、先生にほめる言葉をもらって、小説家になろうと決めた」というストリは、とても素晴らしいと思いました。今日は私も、子供だった時の夢について話しましょう。 私はいつもパイロットになりたかったです。初めて習った仕事の英語も「Pilot」でした。私は子供のころ、いつも「外国に旅行に行くこと」なんか、興味深かったです。「日本はどんな国だろう」とか、「どうしてアメリカでは自由の女神像があるのか」などの質問について興味があり、「飛行機に乗って外国へ旅行に行ったら良かったです」と思いました。 小学校のころ、ある時イギリスからの英語の先生が私たちに教えてくれました。あの先生は「夢は英語でDreamと言います」と言って、「みなさんの夢はなんですか」と聞いていました。私は「Pilotになりたい」と答えて、あの時からずっとパイロットにたりたかった。でも、アメリカに引っ越したら、どしてか忘れてしまったけど、新しい夢を持つようになりました。